屋台の歴史
福岡は屋台を守るべき文化と考え、条例を制定し、屋台の存在を公認した日本で唯一の政令都市です。屋台の歴史は江戸時代にさかのぼり、戦後の闇市の中で繁栄し、時代の流れから衰退と繁栄を繰り返し、存在意義も翻弄され、幾度もカタチを変えてきました。それでも、福岡博多の屋台文化を次の世代へと受け継ぎ、お客様の笑顔を守るため、愛すべき屋台文化を世界へと伝えることを諦めません。世界中の人々が福岡博多の食を楽しみ、屋台文化を理解し、愛してくれるように。そして、未来の世界を担う子供達が笑顔でワクワクするような食文化を世界へ伝えていきます。
GENESIS
屋台とは、道路や広場などで立ち売りをするための小さな屋根の付いた飲食用や物販用の台を備えた移動可能な簡易店舗のこと。日本における屋台の始まりは、江戸時代にさかのぼり、享保年間1716~1736年に出現し、天明1781~1789年以後に盛んになった屋台は、肩などに担いで移動しながら商う「棒手振り」や、蕎麦売りに代表される「振り売り」形式の屋台と、仮設店舗を組立てて移動せずに商う寿司売りに代表される「立ち売り」形式の屋台の二通りがあり、いずれも車輪がついていない「据え置き型」であった。参勤交代の武士や流入した労働者ら単身赴任者の多かった江戸において明暦の大火以降、外食需要の高まりもあって賑わい、手早く食べる事のできる、蕎麦、うなぎの蒲焼、天ぷら、寿司が人気であった。今、福岡県内で見られるリヤカーを改造した屋台は、終戦後に焼け野原の闇市などで戦災者や外地引揚者、戦争未亡人らの手で始まった。
RECONSTRUCTION
今現在に見られるリヤカーを改造した屋台は戦後の「闇市」が起源で、主に大きな都市で普及していた闇市は、食料品や日用品といった様々なものが売られていた。非合法であることに加えて、正規の値段よりも大幅な高値で商売が行われていたことから「闇市」と呼ばれていた。闇市は、数々の屋台が立ち並び、戦後復興の人々の食を支えとして一気に普及した。しかし、1949年、屋台の衛生面を問題視したGHQの指示を受け、厚生省が屋台を次第に減らしていく方針を示した。さらに、1955年には露店飲食店営業者に対する措置が発出された。これにより、許可を得て営業している人を把握し、無許可営業者を無くすとともに衛生面の許可条件の基準の維持を図るように各都道府県に要請した。ここで屋台で提供する食品に制限が加えられ、生モノを基本的に提供しない方針が取られることとなった。この制限は今でも屋台営業の許可基準に反映されている。その後、各都道府県の警察や地方自治体とのやり取りにより、屋台の盛衰が影響されつつ、高度経済成長期を経て国民生活が豊かになるにつれて、屋台は自然と全国的に減少していった。戦後の外地引揚者や失業者が始めた移動式飲食店が発祥と言われる福岡の屋台も、他業種への転換の指導をする行政によって全面廃止の方向が取られていった。
DECLINE
日本全体で屋台が衰退していくなか、福岡では経営者たちが集い「屋台の灯を消してはならぬ」と立ち上がった。1950年代には組合が結成され、存続運動や裁判等でその存在意義を主張した。1955年には厚生省の通達により法的にも全国で屋台営業を許可する方針が明示され、存続が認められることになった。福岡においては1970年のピーク時には400軒を超えるまでに成長した。その後も食品衛生法や道路交通法などさまざまな法的許可内容が制定され、現在の屋台の規模規格もこの頃に決定した。一方、規制が敷かれることとなった衛生面での問題がなくなったわけではなく、さらに歩道の占拠や悪臭、近隣への騒音、名義貸しなどの課題が指摘されてきた。1994年には県警が「現営業者一代限りとする」との方針を打ち出し屋台の名義変更、譲渡を禁止。これにより屋台営業は「一代限り」となったため、経営者の高齢化によって暖簾を下ろさざるを得ず廃業する屋台が相次いだ。福岡市は「屋台問題研究会」での議論を踏まえ「福岡市屋台指導要綱」を策定するなど適正化に向けた取組を進めてきたが、新規参入もこの規制では不可能なため、屋台の軒数が減ることはあっても増えることはなく、このままでは福岡の屋台はなくなり、将来的には屋台の灯が消えることが確実視されていた。
MEASURES
TURISM RESOURCES
屋台公募では、福岡市屋台選定委員会において、ルールの遵守や衛生面への配慮、地域や同業者との積極的な連携に向けた取り組みなど、さまざまな視点から新規屋台が選考されている。新規屋台の中には、ラーメンやおでんを提供するオーソドックスな屋台のほか、フランス料理やジビエ料理、コーヒーなど今までになかった個性豊かな屋台も誕生しており、2024年現在100軒の屋台が福岡市内で営業している。巡回等による屋台営業の適正化の徹底や、公募実施による屋台の誕生によって、テレビや雑誌などの各種メディアで紹介されるなど、屋台に対するイメージは向上。そのほかにも、街と共生するため、屋台営業者で構成される団体では、自主的な地域の清掃活動などに取り組んでいる。その結果、2018年に行った市民への市政に関する意識調査では、屋台に「良いイメージ」及び「どちらかといえば良いイメージ」を抱いている市民は53.7%となり、観光客へのアンケートでは、屋台に「良いイメージ」及び「どちらかといえば良いイメージ」を抱いている観光客は81.3%となっている。
FUTURE
福岡市は屋台が、より市民と地域住民、及び観光客に親しまれ、福岡の街と共生する持続可能な存在となるよう取り組んでいます。屋台問題は、街作りと考えており、都市計画として捉えるべきだと考えている。観光客にも人気な屋台は、夜の楽しみを提供する娯楽としても活用でき、さらに海外からの観光客も含めて福岡市という都市を国際的にアピールしていく上で大きな武器になり得る。福岡市民にとって日常の風景である屋台は、他都市ではほぼ消滅した状況にあり、奇跡的に生き残ったユニークで貴重な存在です。戦後の焼け野原に誕生した福岡博多の屋台は、いくつもの危機や諸問題を克服しながら今日、街の風物となり、都市型の観光資源としての市民権を得ているといえる。著名な旧所名跡にとぼしい福岡市において、強みである食文化を生かした希少価値の高い観光コンテンツである屋台が、今後は既存産業との掛け合せなどを通じて、新たな付加価値を生み出していくことが期待される。
SUPPORT
日本における屋台の始まりは江戸時代にさかのぼり、市民の食の支えとなり、戦後においては闇市の屋台として、復興の支えとなった屋台。時代の流れから繁栄と衰退を繰り返してきた屋台ですが、いつの時代も「人に寄り添い、支え、繋ぐ」ために存在していた。さらに時代は進み、世界はデジタル化が加速し、VRやメタバースも現れ、持続可能の号令のもとで、利便性は高まったものの、人と人の距離はひらきつつある。福岡の屋台は、新規での参入は公募でのみ認められ、公募後は、面談と試験などで厳正に審査されるため、誰でもできる仕事ではありません。また、営業開始後も通常の飲食店とは異なるルールと、行政との付き合い方や、近隣住人との接し方など、意識を向ける先が多く、諸問題も度々おきます。それでも、屋台は人が集まるコミュニティの場として、人の支え寄り添う場として、絶やしてはならい文化だと信じています。現役屋台営業者として、この屋台文化を次の世代に繋ぐためにも、新規で屋台の出店を考えている者が居れば、サポートさせて頂きたいと考えています。
CHRONOLOGY
福岡博多の屋台に関する年表
1945年 昭和20年 | 戦後の福岡で闇市に移動式の屋台が登場。食を通し復興を担う。 |
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1949年 昭和24年 | GHQによる屋台の衛生問題で厚生省が飲食店営業緊急措置令で「昭和30年3月31日で屋台全廃」命令が下る。 |
1950年 昭和25年 | 屋台事業者が「福岡市移動飲食業組合」を結成し、行政や警察に交渉。 |
1955年 昭和30年 | 福岡市中央卸売市場鮮魚市場(長浜鮮魚市場)の開場とともに15軒の屋台が誕生。 |
1955年 昭和30年 | 県会議員 河田琢郎氏による屋台全廃反対運動が始まり、屋台全廃を逃れ許可制に。 |
1956年 昭和31年 | 博多移動飲食業組合設立。屋台営業許可に関する県条例が施行。 |
1962年 昭和37年 | 道路使用許可の取り扱い要綱が決定。 |
1970年 昭和40年 | 屋台軒数全盛期。最大427軒の屋台が営業。(福岡市統計上) |
1973年 昭和48年 | 天神地下街建設工事に伴う、一時休業についての基本協定を締結。 |
1975年 昭和50年 | 天神地下街工事完了による遊歩道計画に伴う屋台営業について、福岡市、中央警察署、九州電力、屋台組合の合同会議を開催。 |
1979年 昭和54年 | 屋台における「生もの」販売について市当局と協議販売禁止を再確認。 |
1989年 平成元年 | アジア太平洋博覧会(よかトピア)開催に協力。 |
1991年 平成3年 | 創業者 土井敬治により「屋台けいじ」営業開始。 |
1995年 平成7年 | 警察より「道路使用許可は一代限り」の申し入れ。 |
1996年 平成8年 | 福岡市桑原市長の諮問機関「屋台問題研究会」発足 |
1998年 平成10年 | 地下鉄工事による一部屋台移動。 |
2000年 平成12年 | 「福岡市屋台指導要綱」施行道路占用許可を与え、規制しつつも合法的に認可。「原則一代限り」が確立。 |
2005年 平成17年 | 地下鉄七隈線工事などに伴い、仮移転していた屋台が復帰営業。 |
2007年 平成19年 | 吉田市長に屋台一代限り撤廃要望 |
2011年 平成23年 | 平成22年の福岡市暴力弾排除条例に伴い要綱を改正。髙島市長が「屋台を残したい。あり方を検討したい。」と表明。「屋台との共生のあり方研究会」を設置。 |
2013年 平成23年 | 「福岡市屋台基本条例」が施行。 |
2016年 平成28年 | 道路工事に伴い長浜エリアの屋台を移動。上下水道や電気を整備し再配置した。公募対象場所の環境整備が整い、初屋台公募を実施。 |
2017年 平成29年 | 第1回公募により23軒を超える公募屋台が誕生。福岡の屋台は計109軒となる。 |
2019年 令和元年 | 第2回公募屋台9軒が営業開始するも、統計上最小数となる99軒まで屋台が減少。 |
2021年 令和3年 | 第3回公募屋台5軒が営業開始。 |
2023年 令和5年 | 屋台けいじの屋台老朽化に伴い、自作により建替え。 |
2024年 令和6年 | 現在100軒の屋台が営業を続ける。 |
※参考サイト:福岡市観光情報サイト よかなび |
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自然と「おかえり」「ただいま」が言える地域社会の共同体としての店作りを大切にし、古き良き日本の生活様式と人間関係を伝えるため、温故知新の考えを大切にする飲食店です。食を通し、驚きと喜び、人の繋がりを生む場所作りを行い、福岡博多が誇り愛される屋台文化を伝えていきます。